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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いをお伝え
していきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
江戸時代、お正月に興行された「寿曽我対面」から武家社会のお正月風景が垣間見れます。今回は
江戸のお正月のお話です。
|寿曽我対面
18年もの歳月をかけて仇討ちという本懐を果たした曽我兄弟のお話は江戸庶民の心をつかみ、お正月恒例の
狂言になりました。なぜそこまで江戸庶民は曽我兄弟の仇討ちに夢中になったのでしょう。
|初春興行(はつはるこうぎょう)
曽我兄弟の弟、曽我五郎時致は苦労して仇討ちを果たし、人々の同情を集め、歌舞伎狂言のなかで荒事の豪快な
ヒーローとして様式化されました。やがて、荒ぶる人物を恐れて、それを神格化しようとする「御霊信仰」的に
崇められるようになり、荒人神(あらひとがみ)としてまつられた曽我兄弟の作品を上演することによって
悪霊払いができると考えられるようになりました。といっても、仇討ちまで上演されることはなく、曽我兄弟が
初めて仇の工藤祐経と対面する場面だけが祝典劇として上演されていました。色々なアレンジが加えられて
いった、この場面にはフィナーレに華やかな衣裳の役者がズラリと揃って新年を祝うというカーテンコール的な
側面があったのではと思われます。このように、数多くのバージョンが創作されていったなかで、1885年
河竹黙阿弥が集大成した作品を作り、それが決定版となりました。
|あらすじ~工藤屋敷の場
場面は、工藤祐経の屋敷。源頼朝が主催する幕府の威信がかかった一大イベント、富士の裾野での巻狩り
(狩場を大人数で囲んで、獲物を追い詰めていく大規模な狩猟)の総奉行を任された祝いの宴です。
そこにたくさんの大名たちが招待され、鎌倉の名だたる遊郭からも大磯の虎や化粧坂の少将ら、全盛の遊女
たちが華を添えています。ちなみに、この遊女2人は、仕事としてこの宴に来ていますが、実はそれぞれ
十郎祐成、五郎時致の恋人です。しばらくすると大名たちに勧められて祐経が一段高い段に着座します。
これは、祐経の歴史的な権勢を表すと同時に、この役を演じる座頭格の役者に対する敬意も表しています。
そこに、関東の豪族のひとり、朝比奈三郎(出演者によっては妹の舞鶴、もしくは両者になります)が仲介し、
曽我兄弟が会いにやってきます。祐経はすぐに河津三郎の息子たち(自分の敵)と気づきますが、慌てる様子も
なく兄弟の父親を殺した経緯を話し始めます。それを聞いて感情が高ぶった弟の五郎時致は、その場で祐経を
討とうとしますが、兄の十郎祐成と2人の恋人たちに止められます。祐経は、総奉行の大事な役目が終わったら
討たれるつもりで、巻狩りの狩場の通切手を与えて再会を約束します。祐経と兄弟は狩場での再会を約束して
別れるところで幕となります。
|江戸のお正月
「寿曾我対面」は大筋をほとんど変えず、毎年お正月に同じ場面が何度も繰り返し上演されていました。
その理由のひとつに徳川将軍家の年始の行事と結び付ける考え方があります。
|お正月の過ごし方~武士編
お正月、江戸城では大名たちが将軍に年始のご挨拶をする年頭御礼が行われていました。大名たちは、身分、
家格、地位によって格差が設定され、挨拶する順番、場所は畳一畳にいたるまで細かく決まっていました。
これには、身分秩序がどのようなものかを明らかにして、その秩序を双方で確認する役割がありました。
元旦は、格の高い大名たちが朝7時から登城し、順番に平伏し賀詞を述べ太刀目録を献上します。そして、
将軍からは呉服、盃、兎肉のお吸い物を頂戴しました。このときの装束も細かく決まっていて、将軍は直垂
(ひたたれ)の正装、大名は大紋に風折烏帽子(かざおりえぼし)の礼服とされていました。「寿曽我対面」の
舞台で後ろに並んだ大名も大紋の装束を身につけています。「寿曽我対面には、盃事、太刀目録の献上、大紋の
装束など江戸城の年賀の風景を彷彿させます場面が多くみられます。ただ、工藤祐経は後に仇として討たれて
しまう人物なので将軍の可能性は低いと考えられます。実力を伴った権力者から漂う魅力的な悪の色気のような
ものがあった老中筆頭くらいのイメージでしょうか。大名たちは江戸城だけでなく、老中の屋敷も訪問していま
した。国元では1番偉いはずの大名も朝廷から授かる官位を上げて、幕府の良い役職につくためには幕閣の
権力者にすり寄ることも必要だったようです。老中への年始のご挨拶は1月13日と決まっていて、その日は
早朝から門前に長蛇の列ができたといいます。そんな大名たちも参勤交代で国元にいるときには、江戸城の
年頭御礼をマネしたような儀式を行っていて、藩士全員が登城し、年始のご挨拶をしていたようです。江戸に
いる直参の旗本や御家人は、幕府の役人として勤務していたので、年始廻りは欠かせないものでした。上司が
離れて住んでいたりすると、車や電車のない時代、先方の家にたどりつくのはとても大変なことだったと思われ
ます。寒い季節、江戸の町をさんざん歩き回って疲れ果て、年始廻りが終わった翌日に寝込んでしまう直参武士
もいたようです。
メトロポリタン美術館所蔵 豊原周延 「千代田之御表」
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/60027030
|お正月の過ごし方~庶民編
一方武士ではない、庶民たちは、前日の大晦日遅くまで続いていた喧噪がうそのように、町中キレイに掃き清め
られ、すべての見世(店)は雨戸を閉め、物音ひとつない静けさのなかで新年を迎えました。初日の出を拝み
終えた人たちが帰るころに起き出し、新年最初に汲み上げる井戸水、若水を汲み、その水でお雑煮を煮て、
福茶を飲んで新年を祝いました。汲み上げた水は一度瓶に入れて必要なときに手桶で移して使っていましたが、
お正月には、この手桶も新しくして輪飾りをかけ、瓶から水を汲むときは恵方に向かって汲むのがならわし
でした。その後は、恵方参りや氏神様への初詣に出掛ける者もいましたが多くは終日のんびり過ごしました。
工や左官の職人たちは親方の家や得意先でおせちをご馳走してもらい、お屠蘇気分で帰宅しました。
2日になると早朝からすべてのものが動き始めます。なかでもお正月の風景に欠かせなかったのが「鳥追」と
「小鰭売り」でした。鳥追は、もともと農村で害鳥駆除と豊作を願う小正月行事です。拍子木や太鼓などを
賑々しく敲きながら大声で歌い歩くのは害鳥を追い払う有効手段でした。それを女太夫(2、3人で三味線や
胡弓を弾いて歌うストリートミュージシャン)が真似をして、いつもよりめかしこんで着飾りお目出たい歌を
歌っていたので、2-15日の間だけ「鳥追」と呼ばれていました。同じころよく通る声で売り歩いていたのが
「小鰭の鮨売り」でした。すし職人は、数ある食べ物職人のなかでも美男子が多かったようで、水浅葱の手拭を
吉原かぶりにした粋な姿はとにかくカッコよくてモテモテだったと言われています。蓋に紅色の木綿をかけた
鮨箱を重ねて肩へ担い、2日の朝から「こはだのすしぃ~」と呼んで売り歩いていました。
町屋は狭い範囲にひしめいていたので御用達の大商人でもない限り、取引先への年始廻りは距離的には大した
ことはありませんでした。小商人は近所や取引先の門口で勝手にお年玉代わりの手拭や扇箱を放り込んでいき
ました。扇は立派なものではなく粗悪品が多かったようです。それでも来客の多さを誇る見得のため、箱のまま
井桁に組んで玄関先に積み上げておく風習があり、わざわざ買って積み上げていた家もあったそうです。
そうして集めた扇箱も松の内を過ぎると不要になるので、来年用に扇箱を買い集める「扇箱買」も現れたと
いいます。そうして「餅網売り」が来ると子供たちも正月遊びをやめ、お正月が終わったことを実感しました。
この餅網は餅を焼くものではなく、欠き餅を網に入れ、富士山の氷溶かし(山開き)まで保存しておくための
網です。加賀藩が献上した氷を幕府が食べる山開きの6月1日に、その氷に見立てて食べたので氷餅とよばれて
いました。短冊切りに切ったお餅を乾燥させ餅網に入れ、風通しのよいところに掛けておき、火にあぶって
食べたそうです。
国立国会図書館デジタルコレクション 歌川豊国・国久作 「赤羽根水天宮 」(「江戸名所百人美女」より)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1311380
講談社学術文庫 宮尾しげを 「すし物語」
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211714
|最後に
いかがでしたか。武家社会の年始廻りは訪問するほうはもちろんですが、訪問される側も大勢が押し寄せて
大変そうです。挨拶の順番や場所が細かく決まっていたことを考えると、大名同士の競争意識を煽り、差別や
嫌がらせなども横行していたのではないかと想像してしまいます。最近はパワハラやイジメに対して厳しい
世の中になってきてはいますが、差別はまだまだ残っていて、私たちは何ができるのか引き続き考えていかな
ければならないと思います。
さて、3回にわたって「寿曽我対面」のお話をしてきましたが、曽我兄弟の仇討ちを題材にした作品は
「雨の五郎」や「助六」など日本舞踊にも数多くあります。それについては、またの機会に…
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