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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いを
お伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
何百年にもわたって上演され、どの時代でも大人気を博した「助六」には、お芝居のストーリーとは別に
いろいろなエピソードがありました。
今回は、助六のこぼれ話をしようと思います。
|宣伝効果
1日に3,000両(現在の約3億9,000万円)のお金が動くといわれた、朝の魚河岸、昼の芝居町、夜の吉原遊郭は
「江戸三千両」と呼ばれ、経済の中心地でした。そのなかで芝居町と吉原遊郭は幕府からは「非日常」を売る
悪所とされていましたが、ファッションや流行の発信源でもありました。「外郎売② ~ 外郎、江戸へ」でも
お話しましたが、SNSやインターネット、テレビなどのメディアがないこの時代、お芝居の中で商品の宣伝を
する効果は絶大で、お芝居に登場したお店や商品は大ブレイクしました。「助六由縁江戸櫻」には当時実在した
様々な商品が登場しています。
|竹村伊勢
幕が開くと舞台の両脇に蒸籠と「新吉原竹村伊勢」の文字が描かれた書割(かきわり:風景画)が目に入り
ます。これは、竹村伊勢から贈られた蒸籠の積物を模様のようにして表現しているものです。
この時代、贔屓筋から歌舞伎役者へ贈られた品物(酒樽、米俵、炭俵など)は芝居小屋の前に高く積み上げて
景気づけを行っていました。積物(つみもの)と呼ばれ、これには熨斗マーク・品物名・贈り主・もらい手を
記載した目録が張り付けられていました。当時、饅頭は芝居見物には欠かせない食べ物で、饅頭屋さんにとって
芝居小屋は重要なマーケットだったので、饅頭屋さんは興行の際には芝居小屋にこの蒸籠を積んで祝いの心を
表すのが慣習になっていました。蒸籠は木の枠の底が簀の子になっている蒸し器で、饅頭を蒸すのに使うもの
です。竹村伊勢は、吉原に出入りしていた菓子屋さんで、吉原の紋日(もんび:イベントの日)には蒸籠の積物
を贈っていたそうです。なかでも、三浦屋を贔屓にしていたといわれています。
ボストン美術館所蔵 歌川国貞 「江戸の花名勝会 白酒売 市村竹之丞」
https://collections.mfa.org/objects/476470
|袖の梅
揚巻の花魁道中では、揚巻は少し酔っている設定なので花道の途中、七三で立ち止まって薬を一服飲みます。
この薬が「袖の梅」です。当時、吉原名物の悪酔いや二日酔いに効く酔い覚め薬で、どこの遊郭にも常備されて
いたと言われています。
|福山うどん
髭の意休の子分、くわんぺら門兵衞とぶつかって言い争いになるのが、うどん屋福山のかつぎ(出前持ち)
です。通りかかった助六が、のびてしまうからとうどんを買い取り、くわんぺら門兵衞に食べさせようと
しますが食べないので、最終的にうどんを頭にかけてしまいます。くわんぺら門兵衞は、頭が割られたと思い、
かけられたうどんを流血と勘違いして大騒ぎするコミカルな場面です。このうどん屋福山は、芝居小屋へ出入り
していた「蕎麦屋の福山」です。元々は名代のうどん屋「市川屋」の設定でしたが、七代目市川團十郎のとき
から市村座の隣にあった「福山」に入れ替えられました。ただ、店名は変わっても、うどんという設定は変わり
ませんでした。
また、うどんを無理矢理食べさせようと、助六が大量の胡椒を入れるとくわんぺら門兵衞がくさめ(くしゃみ)
をする場面がありますが、この時代、うどんは胡椒をかけて食べるのが定番だったようです。
|朝顔仙平(あさがお せんぺい)
くわんぺら門兵衞が大騒ぎしているところに現れるのが、弟分の朝顔仙平です。白塗りの顔に紅と青黛
(せいたい:濃い青色)で朝顔に隈取りをして、眉毛は蕾、髭は葉に描いた派手な姿をしています。これは、
江戸時代に実際にあった「朝顔煎餅」を擬人化したものです。朝顔煎餅は元禄期(1688~1704年)頃の
江戸名物で、京橋北八丁堀の藤屋清左衛門のお店で売り出した朝顔の花のような形をしたお煎餅です。
その朝顔煎餅をもじった朝顔仙平が「煎餅尽くし」の台詞でプロモーションを始めます。
「事も愚かやこの糸鬢(いとびん)は砂糖煎餅が孫、薄雪煎餅はおらが姉様、木葉煎餅とは行逢い兄弟
(異父兄弟)、塩煎餅が親分に、朝顔仙平という色奴(いろやっこ)様だ…」と。台詞に登場するお煎餅は、
どれも実際に江戸で売られていた人気商品でした。砂糖煎餅と塩煎餅は一般的なもので、薄雪煎餅は伊勢屋、
木葉煎餅は翁屋のものです。
このおもしろおかしい台詞は大好評で、しかもお芝居の登場人物が直接プロモーションする効果は絶大でした。
江戸庶民だけでなく、商用や観光で江戸を訪れた人たちも、芝居見物をして江戸土産に日持ちするお煎餅を
買い求めりしたのではないでしょうか。
東京国立近代美術館所蔵 鳥居忠雅作 「隈取十八番 助六狂言之内 朝顔仙平隈」
https://www.momat.go.jp/collection/m00102-005
|助六にまつわるエトセトラ
宣伝効果抜群だった「助六」は商業興行としても大成功でした。グッズ販売などもあったようです。
|天水桶の水
歴代の市川團十郎のなかでも特に美男子で有名だったのは八代目です。吐き捨てた痰を「團十郎様御痰」と
表書きして、御殿女中たちが錦の守り袋に入れ、肌守りにしていたなんて伝説も残っています。
この八代目市川團十郎が、助六を演じた際に「水入り」の場面で使った天水桶の水で白粉を溶かすと
美人になるという噂が広まり、徳利1本が1分(現在の約20,000円)で飛ぶように売れたと言われています。
ボストン美術館所蔵 二代目歌川国貞作
「三浦屋揚巻(四代目尾上菊五郎)、禿、牛若乃伝七(初代河原崎権十郎)、黒手組ノ助六( 四代目市川小団次)」
https://collections.mfa.org/objects/464074
|助六寿司
稲荷寿司と巻き寿司を詰め合わせたものを「助六寿司」といいます。この「助六寿司」もこの演目から誕生
しました。油揚げに包まれた稲荷寿司から「揚」、巻き寿司から「巻」をとり、この2つを詰め合わせると
「揚巻」になります。ところが、それをそのまま「揚巻」と呼ばずに、恋人の名前をとって「助六」と名付ける
ところに江戸庶民の粋を感じます。
また、助六が頭に巻いた江戸紫の鉢巻きを海苔巻きに、揚巻を油揚げで作った稲荷寿司に見立てたという説や、
揚巻の名にちなんで、この演目の幕間に出すために作られたという説などもあります。
|最後に
いかがでしたか。何百年にもわたって大ヒットしている「助六」のお芝居ですが、正直なところ、あらすじなんて
どうでもいいのです。そんな細かいことよりも、江戸吉原を舞台に、たくさんの個性的な登場人物が繰り広げる
生き生きとした江戸の日常や劇中に散りばめられた江戸の粋を肌で感じられるような、まるで江戸の吉原へ
タイムスリップしたような気分になれるお芝居なのです。
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