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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いを
お伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
歌舞伎狂言「若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)」に登場する鯔背な外郎売(ういろううり)。
文字通り、外郎の行商人ですが、「ういろう」と聞いて何を思い浮かべますか?お菓子?それとも薬?
今回は「ういろう」のお話です。
|ういろう、日本へ
足利義満が3代将軍に就き、室町幕府がまさに最盛期を迎えんとしていた頃、中国では明が建国されます。
その頃、元王朝末期の混乱で一族のひとりが、後に明王朝を興す朱元璋に敗れて殺害されたため
明に仕えることができなくなった、元王朝の下級官吏がひとりが筑前博多へ亡命してきます。
彼こそが、後に「ういろう」と呼ばれる万能薬を日本へ持ち込んだ陳延祐(ちんえんゆう)です。
元朝で薬の調達を命じられた「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という役人だったため、亡命後は
帰化して官職名をとって「陳外郎」と名乗り、「外郎」を唐音で「ういろう」と読ませました。
これが今日まで続く、外郎家の始まりです。
医術や占いに詳しかった陳延祐は、その経験を活かして中国の薬を日本に伝えました。その中のひとつに
陳家伝来の家伝薬「霊宝丹(れっぽうたん)」がありました。
|京都へ
延祐の息子、大年宗奇(たいねんそうき)は、足利幕府三代将軍足利義満に招かれて京都へ移ります。
幕府の近くに邸宅を賜って、医術や大陸の知識、外交力を発揮し、朝廷、幕府に 重用されました。
初祖が大陸から持ち込んだ家伝薬「霊宝丹(れっぽうたん)」は幅広い効能と携帯性に優れた丸薬だった
ことで評判となりました。
大年宗奇が、御所に参内した際、家伝薬「霊宝丹(れっぽうたん)」を烏帽子の折り目に挟んでいたところ、
いい香りがすると、当時の天皇より「透頂香(とうちんこう)」という名前を賜ります。これは配合する
生薬の「香り」が「頂」(いただき:冠)から「透き」出てきたことに由来しています。
ただ、「透頂香」は読みにくかったこともあり外郎家の薬として家名から「ういろう」と呼ばれるように
なりました。
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵 月岡芳年作「大日本名将鑑」より「足利義満公」
https://ja.ukiyo-e.org/image/ritsumei/arcUP2547
|お菓子
朝廷に外交役としても仕えていた大年宗奇は、大陸(現在の中国)から来た外国使節団の接待にあたり、
お菓子を考案しました。長旅の疲れを癒し、慣れていない外国で食事がのどを通らない要人に
ちゃんと栄養を摂ってほしいと、おもてなしの気持ちで創作したといわれています。サトウキビから
抽出した黒糖は栄養薬として使われていましたが、希少でとても高価なものでした。
この時代は、まだ砂糖を精製する技術がなかったので、その黒糖と使ってこのお菓子をつくりました。
薬をつくっていたからこそできたお菓子といえます。
また、薬の口直しとして添えて将軍に献上したところ、大変な評判となったことが伝えられています。
このお菓子も薬と同様、家名に由来して「ういろう」と呼ばれるようになりました。
|最後に
いかがでしたか。栄養剤として使われていた黒糖のお菓子でおもてなしって素敵ですよね。
外交もうまくいったのでは、などと想像してしまいます。
次回は、外郎が京都から関東へ伝わったお話です。
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