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花火大会に盆踊り、暑い季節のファッションに欠かせない浴衣。
もちろん、日本舞踊のお稽古でも大活躍しています。
いまイチバン身近な着物「浴衣」の変遷をたどってみようと思います。
この夏、浴衣を着るときに思い出していただけたら嬉しいです。
後半の今回は、外出着としての浴衣のお話です。
|明治時代
明治時代に注染(ちゅうせん)という染め方が発明されます。布をじゃばら状に重ねて表と裏から染める
方法で、裏表なくきれいに染まり、繊細でやさしいぼかしやにじみの風合いがあります。注染も職人による
すべて手作業で行われますが、この方法だと20~30枚をまとめて染めることができるので、多くの浴衣が
出回るようになり、浴衣が夏の普段着として全国的に定着し始めるきっかけとなりました。
美人画で有名な上村松園の「蛍」では、浴衣を着てゆるりと帯を締めた女性が蚊帳を吊っている様子が
描かれていて、浴衣を寝間着として着ていたことがわかります。
文化遺産オンラインより 上村松園作「蛍」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/215394
|大正~昭和初期
大正時代になると、浴衣は寝間着としてだけでなく、幅広い意味で部屋着としても着られるようになります。
そして、昭和初期になると、それまでの湯上りに近所を散歩するという感覚から、昼間の外出着として認識
されるようになります。襦袢を着て、足袋を履き、帯はお太鼓で着物と同じような着付けでした。そのうえ、
汗をかいても気軽に洗濯できるので経済的とされていました。木綿や麻の単衣着物のような感覚に近かったと
思われます。浴衣で銀座を歩く女性もいる一方で、「浴衣は外出着ではない」「足袋を履くのはおかしい」
などといった批判もあり、そのような議論が婦人雑誌などでも取り上げられました。
また、伊東深水や鏑木清方などの著名な画家がデザインを描いた浴衣を百貨店や呉服店などが競って売り出し、
ファッション誌などで数多く紹介されています。
|日本のキモノ
浴衣のデザインも数多く描いていた、大正ロマンを輝かせた画家、竹久夢二は、キモノについて次のように
語っています。
「日のうちの洋服をぬいで、銀座の散歩に仕立て下ろしの中形浴衣を引っかけた16,7の娘は、まるで日本着物を
アメリカ娘がつんつるてんに着たという格好です。襟をぐっとあけて、乳の上を帯でしめつけて、腰帯は
申しわけに胃袋の上の肋骨のとこへ、バンドのようにしめて、そこから下はどぼんと、まるでスカートを引いた
ようにキモノを着たところは、すこしもおかしくない、発育の好い肉体を、従来の着物が表し得なかった
包み方で、実に新しい感覚を持ったものだ。これは洋服が表すことの出来ない、日本のキモノが持つ美しさだ
と思う。」(「婦人画報」より)
着付けについての賛否は別として、現在よりももっと自由に、ファッションアイテムのひとつとしてキモノを
楽しんでいたことがよくわかります。
|最後に
いかがでしたか。浴衣には、高温多湿な日本の夏を快適に過ごす生活の知恵が生かされています。
例えば、紺地の浴衣には紺色に染めるために使われている「藍」の香りを虫が嫌うので、夕方から夜に着ると
虫除けになるとか…
いま浴衣は、デザインも素材も、そして価格もさまざまなものが出回っています。身近な着物として浴衣を
夏の日のコーデに取り入れてみませんか。
美柳流直営の日本舞踊教室みやでは、着物について学べる「きものコース」もご用意しております。
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