天龍下れば

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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーや背景を読み解いて、
作り手やそこに登場するキャラクターの現代にも通じる想いを
お伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…

今回は、市丸の「天龍下れば」です

|天竜川

「天龍下れば」は、作詞 長田幹彦、作曲 中山晋平の新民謡です。
舞台となっている天竜川は、諏訪湖から伊那谷と呼ばれる中央アルプスと南アルプスの間を通り、
愛知県をかすめて静岡県から太平洋へと注ぐ一級河川です。 上流の伊那谷は鉄砲水と言われる急流ですが、
飯田市より下流になると急に川幅は狭くなり、名勝天竜峡と呼ばれるの渓谷をつくっています。
以前は、木材を筏に組んで筏流しに利用されていましたが、戦後はダム建設のため寸断され、 木材は
トラックで輸送されるようになりました。そして、今では天竜下りと称して天竜川の急流を下る観光船が
運航されています。

|成立

江戸時代、伊那地方で収穫されたお米を木曽に輸送するとき、道中では「御嶽山節」と呼ばれる民謡が
唄われていました。その後、明治になって「御嶽山節」が長野市共進会の余興として披露されると、
酒盛り唄や盆踊り唄として各地で歌われるようになります。ところが、「木曽節」(なかのりさん節)の
流行で、御嶽山に木曽のイメージが強くなってしまい「伊那節」と改名されます。そして、改名されて
からは伊那流の盆踊り唄として変化を遂げていきます。
その「伊那節」の歌詞を補作して「天龍下れば」が誕生しました。作曲は「兎のダンス」や「船頭小唄」
などたくさんの名曲を生み出した中山晋平です。

|市丸

「天龍下れば」といえば、なんといっても市丸です。作曲した中山晋平と同郷の市丸は、天賦の美貌と美声に
加え、清元、長唄、小唄のすべてで名取をもった、売れっ妓芸者でした。歌手としてもデビューしていて、
当時の歌謡曲、レコードブームに乗って、人気を二分した小唄勝太郎とともに「市勝時代」を築いていました。
そして、出身地長野の新民謡「天龍下れば」を是が非でもヒットさせたいと、舞台や放送では必ず唄って
大ヒットに結びつけました。
歌詞の中で、市丸が「天龍下れば…しぶきがかる」と唄うところがありますが、
原作では「……
しぶきに濡れて」になっています。市丸が中山晋平のすすめで歌詞を変更したという
エピソードも残っています。

|最後に

いかがでしたか。「天龍下れば」は、涼しげな川下りの情景が夏にピッタリの曲です。
暑い暑い夏、清涼感いっぱいの音色がほんの少しでも涼を運んできますように……

 

 

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